【独自】76年前の遺骨収容時の記録写真を入手ーー終戦直後に朝鮮人徴用工ら500人以上が犠牲になった浮島丸事件

終戦直後に京都の舞鶴湾で起き、500人以上の朝鮮人が犠牲になった浮島丸爆沈事件。5年後に引き揚げられた船体から収容された大量の遺骨を写した生々しい写真が、このたび見つかった。
布施祐仁 2026.04.22
誰でも

 アジア太平洋戦争終結直後の1945年8月24日、京都府の舞鶴港で大日本帝国海軍の特設艦「浮島丸」が爆発・沈没し、500人以上が犠牲となった。

 数千人に上る乗船者の大半は、戦時中に軍事施設整備などのために徴用され、日本に強制連行された朝鮮人であった。浮島丸は、日本の敗戦で朝鮮人徴用工らが暴動を起こすことを恐れた海軍大湊警備府(青森県)が、彼らを早々に朝鮮半島へ帰そうとして出した船だった。

 定員を大幅に超過して乗せたため、船室だけでなく船倉(貨物を積み込む場所)にも人があふれた。爆発で船底が損傷し、船倉にいた朝鮮人らは猛烈な勢いで流入する海水に飲み込まれていった。

 国は舞鶴湾に沈んだ浮島丸の船体を長い間放置していたが、1950年3月にようやく引き揚げに着手する。この時、船内から犠牲者の遺骨が多数収容された。

 私はこのたび、当時遺骨収容の現場で撮影された記録写真を入手した。船体引き揚げと遺骨収容の経緯を調べるために関連文書を厚生労働省に情報公開請求したところ、開示された文書の中に計17点の写真が添付されていたのだ。

 このニュースは本日、韓国のハンギョレ紙が報じてくれた(記事)が、私のニュースレターでも紹介したい。

 写真を見て、身震いした。浮島丸の船体から収容された大量の人骨が地面に並べられているショッキングな光景が写っていたのだ。

水面の上に突き出す沈没した浮島丸のマスト。爆沈から5年間、この状態で放置されていた。

水面の上に突き出す沈没した浮島丸のマスト。爆沈から5年間、この状態で放置されていた。

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遺骨の多くは今も日本に

 撮影から76年の時を経て、ようやくこの写真群が日の目を見た。浮島丸事件の惨劇を目に見える形で伝える貴重な記録だと思う。

 問題は、この写真に写っている遺骨の多くが、76年経った現在も日本に留め置かれていることだ。

 船体の引き揚げを担当した舞鶴地方復員残務処理部が作成した記録によると、1950年3月から1952年5月までに103柱(第1次引き揚げ)、1954年1月から12月まで253柱(第2次引き揚げ)の計356柱の遺骨が船体から収容された。

 このほか、爆沈直後に遺体が収容され舞鶴海兵団の敷地内に仮埋葬されたものがある。これも1950年4月に発掘され、150柱を超える遺骨が収容された。

 これらの遺骨は個別の身元の特定が困難であったため、日本政府が作成した「死没者名簿」に記載されている521人分の骨箱に分配して納められた(分骨)。

 骨箱は1958年に厚生省援護局に移管され、1971年に東京都目黒区の祐天寺に預託された。その後、1971年、1974年、1976年の3回にわたり計241人分が韓国に返還されたが、残りの280人分は現在も祐天寺に仮安置されたままになっている。

 1990年代に犠牲者の遺族と日本政府との間で遺骨の返還について協議が行われたこともあったが、日本政府が遺族らが求めた謝罪を拒否したため返還は実現しなかった。その後も日韓政府間で遺骨の一括返還に向けての交渉が行われたが、実現には至らなかった。

船体引き揚げ時に収容された遺骨は、個別の身元特定が困難であったため「分骨」された。

船体引き揚げ時に収容された遺骨は、個別の身元特定が困難であったため「分骨」された。

遺骨の早期返還を望む遺族

 韓国で浮島丸事件の遺族団体代表を務めるハン・ヨンヨンさんは、一刻も早い遺骨の返還を望んでいる。

 ヨンヨンさんの父・ソクヒさんは1944年、徴用で日本に強制連行され、海軍飛行場があった青森県の三沢で軍事施設の整備などに従事した。終戦後も戻らず、一緒に日本に渡った知人から浮島丸事件で亡くなったことを知らされる。

 3歳で父を失ったヨンヨンさんは、苦しい人生を歩んできた。中学校卒業後、家計を支えるため働きに出た。高校進学は諦めざるを得なかった。懸命に働き、弟は大学まで行かせたという。

 そのヨンヨンさんも80歳を過ぎ、父親に会いに行く時が近づいている。しかし、このままでは合わす顔がないと話す。

「遺骨を日本に置いたままでは、あの世で父に会った時、私は何と言葉をかければよいのか」

 ヨンヨンさんは、日本政府に対しても怒りを露わにする。

「日本が人を連れて行って働かせただけならまだしも、殺して(ママ)遺骨も返さないなんてありえないことだ」 

父・ソクヒさんの形見を手にする遺族団体代表のハン・ヨンヨンさん=2024年11月、慶尚南道・居昌郡にあるハン氏の自宅で(筆者撮影)

父・ソクヒさんの形見を手にする遺族団体代表のハン・ヨンヨンさん=2024年11月、慶尚南道・居昌郡にあるハン氏の自宅で(筆者撮影)

一刻も早い遺骨返還を

 浮島丸事件で犠牲になった朝鮮人の遺骨が現在も仮安置されている祐天寺では毎年8月、市民団体「朝鮮人戦争犠牲者追悼会」主催の追悼式が開かれている。

 また、浮島丸が爆沈した舞鶴と出航地の大湊でも市民団体主催の追悼式が開かれている。

 昨年7月28日には、日本で追悼式を開いている3団体が共同で遺骨の早期返還を厚生労働省に要請した。

祐天寺に仮安置されている朝鮮人の遺骨の早期返還を厚生労働省に要請する市民団体の代表=2025年7月28日(筆者撮影)

祐天寺に仮安置されている朝鮮人の遺骨の早期返還を厚生労働省に要請する市民団体の代表=2025年7月28日(筆者撮影)

 対応した厚生労働省の担当者は「我々としても人道上の観点で進めていかなければならないと十分に認識している。少しでも前に進むように、あらゆる機会を通じて韓国側と話をしていきたい」語った。

 厚生労働省もけっして後ろ向きではないことは伝わってきたが、遺族の高齢化を考えると、残された時間は短い。

 最近、日韓外交において「未来志向の協力」という言葉がよく使われるが、過去を直視し責任ある行動をとってこそ協力の強い基盤が作られる。日本政府は一刻も早い遺骨の返還に向けて、韓国政府との協議を加速させるべきだ。

 なお、浮島丸事件の犠牲者の遺族は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にもいる可能性がある。(了)

 浮島丸事件の取材レポートが雑誌『世界』(岩波書店)の5月号に掲載されています(タイトルは「浮島丸事件 発掘された乗船者名簿と韓国の遺族たち』)。そちらもぜひお読みいただければ幸いです。

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