【コラム】終戦81年。日本はもう謝罪する必要はないのか?
アジア太平洋戦争の終戦から81年を迎えた。
日本は、欧米列強の植民地支配下にあったアジア諸国を解放し、「大東亜共栄圏」を築くことを戦争目的に掲げた。だがその実態は、日本の領土拡張(傀儡国家の建設も含む)や天然資源獲得のための侵略戦争であった。

2026年8月15日、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(筆者撮影)
満州事変(1931年)から第2次世界大戦終戦までの15年間に犠牲となったアジア太平洋諸国民は、2000万人にも及ぶと推定されている。このうち約半数は中国人だ。
中国では、日本の侵略に抵抗するゲリラ活動が活発に行われ、日本軍による掃討作戦は苛烈を極めた。抗日ゲリラを民衆から切り離すことができなかった日本軍は、集落を襲撃し、無差別に焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす作戦(中国では「三光作戦」と呼ばれた)を展開した。
私は、この作戦に参加した元日本軍兵士の話を直接聞いたことがあるが、あまりの凄惨さに言葉を失った。略奪やレイプは日常茶飯事で、銃剣で妊婦の腹を切り裂いたり、老人の耳をそぎ落としたり、乳飲み子を母親の目の前で谷底に投げ捨てたりするといった残虐行為もたびたび目にしたという。
この元兵士は「日本は神の国、天皇陛下は生き神様、その下にいる大和民族は世界で一番優秀な民族と教え込まれ、劣等民族の中国人には何をしてもいいと思っていた。100年謝っても謝りきれないことをしてしまった」と深く悔やんでいた。
1972年9月、当時の田中角栄首相が中国との国交正常化交渉に臨むために北京を訪問した。初日の夜に開かれた歓迎晩餐会で田中首相は、「わが国が(戦争で)中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて改めて深い反省の念を表明する」と謝罪した。
翌日に始まった交渉で、中国の周恩来首相は「ご迷惑をおかけした」という言葉は軽すぎると強く抗議した。その結果、最終的な合意文書には「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と記された。
このように、日本政府が戦争加害の事実と責任を認めて謝罪することが、戦後、中国と国交正常化する出発点となった。
その後、1995年に村山富市首相が発表した戦後50年にあたっての談話で、「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」として、「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明。2005年に小泉純一郎首相が発表した戦後60年にあたっての談話でも、同様の謝罪を行った。
2015年に安倍晋三首相が発表した戦後70年にあたっての談話では、戦争加害について謝罪してきた歴代内閣の立場は「今後も、揺るぎない」とした。
ただ、その一方で、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」との一文が安倍氏の強い意向で盛り込まれた。「戦後の謝罪外交に終止符を打たなければならない」――これが安倍氏の持論であった。
談話発表後に行われたマスコミ各社の世論調査では、この一文に関しても支持する意見が多数であった。
しかし、私はこの一文に強い違和感を抱いた。なぜなら、前出の元日本軍兵士が「100年謝っても謝りきれないことをしてしまった」と語っていたように、2000万人以上の命を奪った日本の戦争加害の責任はそう簡単に消えるものではないと思うからだ。
それに、謝罪が十分かどうかは、本来被害を受けた側が判断することだ。少なくなっているとはいえ、存命の被害者もいる。その人びとを前にして、「日本はもう十分謝ったから、今後は一切謝罪しない」と言えるだろうか。それは、被害者への誠意を欠いた、とても傲慢な姿勢だと思う。
「時がたてば戦争の加害者は忘れてしまうことも、被害者は絶対に忘れない」――これは前首相の石破茂氏が自著(『保守政治家 わが政策、わが天命』、講談社、2024年)に記した言葉だ。
私たちは、日本が引き起こした戦争の被害者に対して、歴史に対して、誠実さを失ってはならない。
(※本稿は、昨年8月に鹿児島県の地方紙・南日本新聞に寄稿したコラムに修正を加えたものです)
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